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幸せの自転車操業

悩.png

ブログには自分が気づいたことや、

美しいとか面白いと思うもののことしかかかないので。


随分と能天気な人だと思われてしまってもしょうがない。


でももちろん私にも悩みがあって、

何もかもが上の空になり、悩みが悩みを呼ぶような

脳内劇場を展開していることもある。


そんな最中にもやっぱり、

あ、悩みと脳って部首がいっしょだな。

脳は悩みの同類じゃないか!

脳の在り方の基本は悩むこと、などと

どうでもいいことを考えてみたり。



さて、そんな風に脱線しながら

悩みから気をそらすことがなかなかできなかった私は

悩みを利用して様々なワークを試みた。


これを別の角度から捉えることはできるのか?

この悩みが結局はどんないい未来に繋がるんだろう?

相手の嫌な部分が、自分にも確かにあるよね。

あるいは、自分の偉大さは、人からの評価に影響されない!

(と、自信満々に言い切ってみる、ワークw)


しかし、今回のお悩みにはどれもまるで効果なし。


上に書いたようなことは、

大して根深くない悩みには効くのかもしれないけれど、

ポジティブさのかけらも持ち合わせていないような時には

浮上できない自分に苛立ちを覚えるという

マイナスの効果しかないようだった。



でもその後に、

ものすごい功を奏するものが開発された。


それを名付けて「幸せの自転車操業」!



まずは、脳内劇場がどこで起こっているかということを

よくよく考えてみた。


もちろん脳内で。過去あるいは未来の出来事について。


そして目の前に目を向けると、

楽しそうにお風呂に浸かっている、可愛い娘がいた。


(そう、1日中悩んだ末、お風呂場に行ってまで悩んでいた)


ああ、この子の可愛さを楽しまないともったいないな。


脳内劇場にものすごく素敵なお芝居がかかってるならともかく、

そうじゃないものに気を取られて、

目の前のものを楽しんでいない自分。


そうやっている間にも、

この瞬間的な幸せというのは

手の中からこぼれ落ちてしまうんだ。



そして娘がお風呂場のおもちゃで遊ぶ水音に耳を澄ませ、

楽しさでキラキラと輝く目を惚れ惚れとながめて、

2人一緒の時間を満喫した。


すると、あれだけ悩んでいたことは

理由もなく、あとかたもなく消えた。



きっと、先のことを心配するのって、

「自転車操業」を不安がっているからなんだ。


未来に備えて身構えておかずに、今にかまけて、

後でやっぱり何か心配なり対策をしておけばよかったと

後悔するのが怖い。


でも実際には、頭だけの余計な心配というのは

未来への対策になるどころか

「今」にフォーカスして、そこからのパワーを得るための

妨げにしかなっていない。


でも本当は

資金を得てはつぎ込む自転車操業みたいに

「今この瞬間」に常に常にフォーカスして

リアルな幸せを毎瞬毎瞬得ては捨てる。


それが、俯瞰の目で見れば、

至福の中を歩いていく姿に映ることだろう。



それは、可愛いわが子が目の前にいる場合とか、

美味しいご飯を食べている時に限った話だよね?

って思う人もいるかもね。


でも、私はまだ試していないから何とも言えないけど、

誰かに責め立てられ、ものすごく困った状況にいるとしても、

至福であり時の空隙みたいな

純粋な「今」という状態が必ず存在する。


出来事は粗く不連続で、

そこかしこにぎっしりと

無限の「今」が内包されているから、きっと大丈夫。



そのようにして、私の悩みだったものは

計り知れない気づきを自分にもたらした

素晴らしいギフトとなった。


*********
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2015-06-12 21:15 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「性」について考察する

性.png

「女性」「男性」などというと、あまり卑猥な感じのしない「性」も、

「性」の一文字となった途端に、何か隠微なものを想像させるワードとなる。


そもそも、「性」とは何だろうか。


私の考えでは、「『性』とは『極』を表す言葉である」。


「極性」「中性」という言葉もあることを考えると、

これはちょっと変な定義にも思える。


しかし、「性質」などというマイルドな定義を許さないような

パワフルな感じが「性」にはあって、

それが「性」を極度に遠ざけたりする要因にもなっているようだ。



「性」を考えていくと、宇宙の成り立ちにまで思考が遡る。


世界はもともと一つ、などと言われるが、

この「一つ」は結構曲者だ。


なぜなら、「『完全なる一』が『ある』状態」というのは

そもそもあり得ない。


無の状態というのは、そこに属性がないゆえに限りがない。


しかし、有の状態というのもまた、

無から生まれるゆえに限りがない。


それで、無から有を生み出そうとするときには、

「たった一つの何か」を生むことはできず、

「一=多(無限)」という、私たちにとってみれば

不思議な等式のような感じで、世界が出来上がってしまう。


これを別の角度から見てみると、

量子力学の世界では、

電子は原子を取り巻く「電子雲」の形で存在することが知られているが

これは「電子の取りうる位置」、つまり可能性を描くと

ぼんやりとした雲のような形になる、ということ。


一つの存在は、無限に考えうる「存在のバージョン」を同時に取って、

多次元的に存在する。


これを言い換えると、

「想像しうるものは必ず存在する」。


それが、一つを生み出したつもりが、

無限を生んでしまう説明にもなるだろう。



さて、「性」の話に戻ると

私たちの住む三次元の世界は、

二元性の支配を受けている。


どうしてかというと、

ここでは事象が時系列で並んでいて

違う時間のものは同時には存在しない、というルールがあるので

すべてのものはある状態に固定される。


どんな状態もアリ、の世界では

対極の状態すらもそのものに内包されるので

極性というものを考えること自体意味をなさないが、

状態が固定されていれば、さまざまなモノに対して

その真逆の性質というのをいちいち割り振ることができる。



さて、「性」に話を戻すと、

真逆の極性を持つ者同士が融合を果たすと、

「両極を内包するもの」、

つまり三次元の枠を超えたものになり得る。


「善と悪」「右と左」「上と下」など、

ほとんどのものは混ぜ合わせることができないが、

「男と女」だけは別。



性的なことというのは、

新しい生命を生み出し得るほどにパワフルだ。


人間のなせる行為のうちで、

最もクリエイティブで尊いものと言えるかもしれない。


それがやたらに貶められてきたのは

そこから取り出せるパワーの故なのに違いない。
2015-06-10 22:34 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

息を吐く

息.png


私が大尊敬している女性。


シミひとつないお肌はいつもピカピカで、

82歳の現在も、仕事を2つ掛け持ちでやってる。


お宅にお邪魔するといつも、

「何にもないんだけどさ〜」と言いながら

おいしいものを沢山ご馳走してくれる。



貰ってばかりはだめだよ。

それは息を吸いっぱなしと同じ。


息を吐くように人に与えないとダメ。

と言いながら、

常に人に与え、

自らも多くのものを受け取っていて、

「有難いねぇ」が口癖。



自分が82歳になった時、

彼女のようでありたいと、

心から思っている。
2015-06-09 20:30 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

凶事の正体

凶.png

なんか最近、大変なことがいっぱい!

と思っていたんだけど…


よーくよーく棚卸しをしてみると、

ここ1ヶ月、身の回りで起こった一番悲惨なことは、

「1.5合のコメに、2合分の水を入れて炊いた」

ことだった(笑)



多分、心で勝手に心配している未来のこととか、

くよくよしてもしようがない過去のこと。

そして、人が自分をどう思っているかとか。


そういう、本当かどうか分かるはずもないことを

現実と混同して、悲惨な気持ちになってる。



気をとり直して、炊飯の水加減は正確に。
2015-06-09 20:12 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お母さんに、42年分のありがとう

母の日.png

中国の故事に、孟母三遷というのがありますね。

孟子の母は、孟子の教育のために3度転居したというもの。


うちの母も、そのように3度引越しをしました。



1度目は私と弟がごく小さかった時、父と離婚して、

自分たちの生活を守るために郷里へ。


ここは雪深いけれど自然の見事な土地で、

秋には錦のような紅葉、春には桜。


秋の黄金色の田んぼも美しく、

そして冬には、夜に見ると桜吹雪と見まごうばかりの雪が降りました。



そこで思う存分遊んで小学校時代を過ごした後、

私はそこから車で2時間ほどの市街地にある中学に入って、

寮生活をしました。


続いて弟も、同じ市内にある中学校へ。

ここは寮がなかったので、食事付きのアパートに下宿をしました。


小さなお店を経営していた祖母の助けもあったとは言え、

シングルマザーである母が

子供2人にそのような生活をさせるのは、

並みのことではなかったはず。



それまでは小学校の臨時教員をしていた母は、

収入が安定しないその勤めをやめ、

小さな広報紙の記者になりました。


会社に支給されたニコンの一眼レフで写真を撮りつつ、

持ち前の文才を生かして記事を書く母は、

とってもかっこよかった。


衣装持ちでおしゃれな母が、

白っぽいジャケットにロングスカート、

肩には大きなカメラを掛けたいでたちで

颯爽と取材に出掛ける姿が今でも浮かびます。


その時の広報紙に大した興味も持たず、

きちんと取っておかなかったことが、本当に悔やまれます。

今は、それをただの広報の記事ではなく、

母の軌跡として、

読み返したい思いでいっぱい。



中学3年になって、学校に嫌気が差してきた私は、

高校へは進学しないと決めました。


母は猛反対をし、

中学生から親元を離れることを許した自分の責任だと言って、

2度目の転居をします。


この時の勤め先は地方出版の会社でした。


母42歳。今の私と同じ歳です。



後から分かったことですが、

この時の求人には相当な倍率の応募があって、

年齢的にも不利だったはずの母の履歴書が

偏屈だった会社の社長兼編集長に気に入られ、

採用してもらえたようです。


とても安価な集合住宅の一軒も運よく見つかり、

再び弟と3人の、家族での暮らしが始まりました。



ワンマン編集長の元での仕事は

母には相当ストレスフルだったようです。


そのストレスを理解せず、

家に帰っては会社の愚痴をこぼす母に、

嫌ならやめたら?とか、

人の悪口をあんまり言うもんじゃないとか。


弟と2人がかりで、

ねぎらいよりも無理解の言葉を投げていました。


それが目の前の2人を養うために

身を粉にしている母にとって、

どれほどの苦痛だったか。


私も弟も、若くて未熟だったとは言え、

ひどいことをしたなぁと思います。



私が高校1年の時

(さまざまありながらも、高校へは無事に進学しました)、

1つ下で中学3年生だった弟が、

今度は県外の高校に進学したいと言い出しました。


そこは、母と離婚した父の郷里にある、

父の母校でした。



母はまた弟のために、親戚が経営していたアパートの一室を借りました。

しかし、もともとちょっと頼りないところのあった弟が、

台所で水漏れ事故を起こしてしまって、

大家さんである伯父さんに

疎んじられてしまいました。


それで母は、私が県外の大学に進学し、

家を離れるタイミングで弟の所へ。


これで孟母三遷は完了しましたが、

小学校の臨時教員の職に戻っていた母が、

今度は若い頃に新卒で採用された

私立高校から声を掛けてもらい、

そこの国語の講師として、

70歳まで勤め上げました。


その合間にも知り合いのつてで家庭教師の副業をしたり、

別の私立高校の寮母さんをしたり。


子供の教育のため、生きていくために

あらゆる手を尽くしてがんばってくれました。



母はしつけに厳しかったので、

そんなありがたい姿を見ながらも、

その厳格さにはいつも反発していた。


でも、よくよく考えてみると、

私と弟が好き勝手に

こちらの学校に行きたい、

あちらの学校に行きたい、という度、

さしたる反対もせずにサポートに回ってくれました。

(学校に行きたくない、と言った時のみは

強硬に反対しましたが)



高校最後の年、今度こそ学校からは自由になりたいと思って母に言ったら、

「ハクがつくから行きなさい」と、

元教師らしくもない台詞で進学を勧めてくれました。


母としては、学ぶということは素晴らしいことだと

言いたかったのだと思うし、

それまでにも何度もそういう風に伝えてくれていた。


でも、そんな言葉に全く心が動かない私を見るに見かねて

最後の切り札を出したという感じでした。


そのことも今では、

勉強は好きじゃなくても、

大学では友人をはじめ大事なものをいろいろ得たなぁと思い、

とても感謝しています。



大人になり親になって、

働いて生計を立てるのがどれだけ大変で、

子供を育てるのがどんなに大変かを思い知りました。


苦労したよねと母に聞くと、

本当に大変だと感じたのはたったの1回だったと言います。


それは、幼い頃に弟が熱を出したので、

弟をおぶって、私の手を引いて、

病院まで行かなければならなかった。


その時に私が、自分もおんぶしてほしいと、

滅多にこねないダダをこねたのだそうです。


ええ、他にもいろいろ困ったことはあったでしょう?

と思うのですが、

そんな風に、苦労を苦労と思わず、

ただただ子供が望む道を行けるよう、

身を挺してその道を守ってくれた母でした。



10年前に娘を産んだ時、

産後の手伝いに来てくれた母が、

「この30年、夢のようだった」としみじみ呟いていました。


子供のために一生懸命に、

あっという間の時を過ごしたのでしょうか。



私は今、

遊んでくれてありがとう、

産んでくれてありがとう、

大大大大大好きだよ、と

事あるごとに言ってくれる

ありがたい娘に恵まれています。


その小さな娘に比べ、

自分は何てとんでもない恩知らずだったんだろう。


お母さんの厳しさの裏にあった気持ちや苦労を、

微塵も感じたり感じたり考えたりせずに、

ただただ反抗していた。


けれども、そんな母の厳格さも今では魔法のように消え、

あの時は厳しいフリをしてたのよね〜なんて、

呑気に笑う愛すべき人になっています。



だから、厳しかった昔のお母さんにも、

のんびりした今のお母さんにも、

42年分のありがとうを言いたい。


お母さんから産まれて来て、

最高に幸せだし誇らしいよ。


お母さんを心から尊敬し、愛しています。
2015-05-10 23:45 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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